(1998年 通産ジャーナル掲載)

産業政策の理論的根拠
                            1998年11月10日
泉田 裕彦
                             
 
 産業政策の"伝統的"理論的根拠は大きく、「市場の失敗、市場の限界の補整」及び「公平性の確保:所得分配の問題」に分類される。ただし、"伝統的"理論は、政府が市場に介入する必要条件である。"伝統的"理論によって市場の不完全性が認められる場合でも、多くの場合は、レピュテーションメカニズム等の民間のコーディネーションや制度によって市場が補整されているため、必ずしも政府が市場介入する必要はない。民間コーディネーションや制度によって補整が行われない場合にはじめて、産業政策を市場に適用することを考える必要が生じる。
 更に、政府が市場に介入する必要のある場合にも、様々な制約から政府の政策が有効に機能しない「政府の失敗」が生じ得る。
 このような認識の下、まず、伝統的な政策介入の理論的根拠について整理し、政府の失敗について検討を加えた上で、最後に市場機能拡張的政策を中心として今後の産業政策の展望について記述する。
 なお、市場機能拡張的政策には、本来政府が供給すべき財やサービスを効率的に供給するため政府機能に行政執行にオークション制度を導入する等のマーケットメカニズムを適用することも含まれると考えられており、この点についてもあわせて整理を行う。
 
1.市場の失敗に対する補整措置
 価格機構は、通常望ましい資源配分をもたらすと考えられるが、価格機構に委ねておいては、資源配分の上で望ましい結果が得られない場合のことを市場の失敗という。
 特に、市場が存在し得ないような形の市場の失敗の場合、政府が市場に代わって、財・サービスを供給する必要があり、これを政府の市場代替機能という。 一方、情報の非対称性が存在する場合、外部性が存在する場合等のように価格機構が完全機能しないために生じる市場の失敗を政府が補整する機能を市場補完機能という。
 
 (1)市場代替機能
  ○公共財・サービスの提供
 消費において、非競合性と排除不可能性が存在する場合、この財は市場を通じては供給されないため、政府が供給する必要が生じ得る。
   ・産業インフラ整備
   ・経済安全保障(資源・エネルギーの確保)
   ・情報の生産(統計事務、ビジョンの作成)
 
 (2)市場補完機能
  ○不完全競争(独占、寡占)
 自然独占:市場の需要が単一の企業によって満たされ、第二の企業が参入する余地がない場合に必然的に成立する独占@生産設備の不可分性すなわち規模の経済性が必然的に要求される場合、A鉱山・温泉のような天然資源の場合等がある。この場合、生産量、価格に政府が関与して、供給側企業に超過利潤が発生しないようにすることにより経済厚生を高め得る。
 独占、寡占:財の供給者が、単数又は少数の場合、価格機構が有効に機能しなくなる。また、市場に多数の売り手が存在しても、供給者側が製品差別化に成功する場合、長期的均衡では高価格、高コスト、過小規模設備という一連の状況が生じる恐れが高い。政府はこのような状況を改善するために競争基盤を整備することにより経済厚生を高め得る。
・公益事業規制、鉄道事業の免許制
・競争促進政策(独占禁止法)
  ○外部経済及び外部不経済への対応
 外部性とは、ある経済主体の活動が市場を通さず、直接別の経済主体の環境(家計であれば、効用関数、企業であれば、生産あるいは費用関数)に影響を与えることである。この外部性があると完全競争下でもパレート最適が達成されないことから、資源の効率的配分を実現するためには、市場に政府が介入する余地がある。
    例1:技術開発・標準化、知的所有権制度の整備
    例2:公害防止・環境政策、産業保安
(注)パレート最適とは、有限な資源を再配分することによって、誰かの効用を低下させることなくしては誰の効用も増加させることができない状況を指し、経済の資源配分が最適となる必要条件である。
  ○情報の不完全性
 効率的な資源の配分が実現するには、全ての潜在的市場参加者に情報が完全に行き渡っている必要があるが、現実には情報の非対称性が存在する。したがって、何らかの政策的介入により、情報の非対称性を軽減することが可能であれば、多くの場合は経済厚生を高めることが可能となる。
   ・消費者保護(製造年月日の表示義務付け)等
  ○取引費用の存在
 価格機構が完全に機能するためには、取引相手をコストフリーで瞬時に見つけること等取引費用が十分に小さいことが必要である。しかし、現実には多くのサーチコスト等が発生する。したがって、政府が積極的に取引のための「場」の設定に関わることによって、経済効率性を高め得る。
 なお、これは政府が直接「場」を設定することに限らず、場を設定する事業者に対して援助や保護をするという方法も考えられる。
   ・商品取引所
  ○生産要素移動の不完全性
 生産要素は、特定の目的のために開発され、使用されることによって価値を創造することが可能となる財であり、さらに、長期間にわたって使用されることを前提とした財である。したがって、この種の財の取引は、需要側が限られることとなり、価格機構が有効に機能しにくい。特に需要に対して生産要素が過大になったことにより、設備の譲渡や廃棄を行った場合には、これを保有する生産者に損失(いわゆるサンクコスト)が発生する。このコストの存在が適切な生産要素の移動を阻害し、結果として適切な商品の供給が行われないことにより、経済厚生の水準を低下させる恐れがある。政府は、このような場合、生産要素移動の不完全性の補整やサンクコストの存在のため発生する過剰生産を補正することにより、経済厚生を高め得る。
   ・調整援助政策(共同設備廃棄等)、衰退産業の時限的保護政策
 
2.公平性の確保:所得分配
 近代民主制の理念は、基本的人権としての財産権を保障する一方で、富める者の自由(財産権)を制限し、すべての国民の実質的かつ社会的な平等を実現するために生存権的基本権の保障に重点を置いている。これは、平均的正義ではなくいわゆる配分的正義を意味し、「平等の原則」は、行政権、司法権のみならず立法権も拘束し、国に積極的な役割を与えている。
 極端な所得や資産の不平等を放置した場合、新古典派的視点からは、効用関数に影響を与えるわけではないため経済厚生に変化を与えるものではないものの、実際問題として、労働意欲の減退等の非効率や社会の不安定性が高まる恐れは否定できない。これらの事態を避けるため、社会政策的に政府が市場に関与する必要がある。
   ・分野調整、地域振興対策
   ・中小企業政策
 
3.政府の失敗
 政府がある政策を実行したことにより、当初想定されなかった効果を誘導することにより、所期の目的を十分達成することができない可能性がある。そもそも、十分に政策効果を予想することは困難な側面がある。また、政府は、政策のもたらす結果について限られた影響力しか持っていないかも知れない。さらに、政策を立案したものが政策を実行するときに、限られた力しか持っていないかも知れない。政府で働く人々のインセンティブは、安定志向、前例指向となってしまい社会の変化に適切に対応する誘因に欠ける傾向があるかも知れない。さらに、民主制の下で、各種利益団体がコストをかけて政府に働きかけを行うこと等により、望ましい政策が歪められる可能性もある。
 このように、結果的にみて、政府の行動は必ずしも合理的なものとなるとは限らない。また、情報の偏在がある場合は、消費者余剰と生産者余剰を合わせて社会的な便益を最大にする形で理想的に政府が行動しているとは限らない場合も考えられる。
 したがって、「政府の失敗」を最小にするような政策が採用される必要がある。
 
4.今後の産業政策の展望 〜市場機能拡張的政策の重要性〜
 市場メカニズムは、ロシアの例をみるまでもなく、自由な競争に任せておけば達成されるという単純なものではない。実際には、これまで見てきたように、いくつかの条件が満たされてはじめて機能するものである。
 したがって、政府は法律や制度の適切な設定を通じて競争やイノベーションの適切な設定(市場機能拡張的政策)を行うことが重要である。これは、スタティックな資源配分の効率性を追求する以上に、最大可能産出量を増加させることにより持続的な国民所得や富の拡大を可能にするダイナミックな政策であり得ると考えられるためである。
 政府自らが、市場に介入し競争に参加・介入することは、市場経済が整備される初期や幼稚産業を立ち上げる場合等、必要な場合もあるが、徐々に民間経済主体の市場を核とした様々なコーディネーションを促進し、制約を乗り越えようとする積極的適応行動を引き出すことに主眼を移すことが必要である。
 日本経済の中において政府はこれまで「市場の失敗」の補整を中心に政策展開してきた。また、日本政府の政策立案過程には、官僚制多元主義が存在していた。
 しかしながら、近年日本経済をとりまく経済社会環境の大きな変化が生じており、経済構造改革路線に沿って、@本来の機能を失ったものを廃止すること、A政策の中心を市場機能拡張的政策に移すこと、さらに、B政策決定システムを見直すこと、等が必要になっている。
 なお、政府機能を市場によって補完する政策、あるいは政府関連分野におけるマーケット・メイキングの政策も重要な市場機能拡張的政策の一つと考えられる。
・店頭公開市場の環境整備、消費者保護ルールの策定、企業税制・企業法制整備等の民間コーディネーションの発達促進
・PFIの導入、行政執行におけるオークション制の導入
 
5.むすび
 以上総括すると、現在の日本経済を取り巻く環境は、戦後日本経済の発展を支えてきた伝統的政策体系に変更を迫るものであり、如何にマーケットメカニズムを有効に機能させるかという観点での政策立案及びその実施が求められていると考えられる。したがって、市場機能拡張型政策が今後の産業政策の中核となっていく必要がある。
 無論この政策体系には、学習効果、技術や経営上の能力蓄積などにより当初は赤字でも将来的には成長し最大可能産出量を増加させるダイナミックな政策として、技術開発の促進、先発者の標準規格策定に対する援助、幼稚産業の育成も包含するものである。
 さらに、自国の経済厚生の向上のため、海外との競争に政府が何らかの形で介入する戦略的貿易政策の実施も、航空機産業のように当該産業が収穫逓増・規模の経済性が十分に大きい場合には必要かも知れない。
 いずれにせよ、国民が豊かさを実感でき、安心して生活できる経済環境を創造していくこと、21世紀においても日本経済が、トップランナーの一員として世界の中で存在し続けるために政府の一員として政策展開していくことが今後の経済産業政策の基本理念である。
 

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