【論文】

政策形成過程におけるナレッジマネジメント技術の導入

[通商産業省「通産ジャーナル」2000年9月号所収]
泉田裕彦(通商産業省通商産業研究所 主任研究官)

現在、企業経営にナレッジマネジメントを導入することが盛んに行われている。ナレッジメントが注目されるのは、それが競争力の源泉となり得るからである。本稿では、ナレッジマネジメントの概念、企業がこれを導入する背景及び政策形成における組織的なナレッジマネジメント導入について考察してみたい。

1.企業におけるナッレジマネジメントの導入

 企業の導入については、コンサルティング・ファームがもっとも先行していると言われている。「知識」(ナレッジ)を事業活動の主な商品としていることから、その導入に強いインセンティブが働いたためであろう。一方、主要企業においてもIT革命の進行の中で、経営者は、知識を管理することによってその思考や行動を変え始めている。
 ナレッジマネジメントという概念自体は、必ずしも新しい概念ではないが、近年注目度が増しているのは、IT技術の進歩、ネットワーク技術の進歩が、知識の管理に革命的な影響を及ぼしている側面があるためである。その結果、「知識担当役員」(CKO:Chief Knowledge Officer)と呼ばれる職種が盛んに導入されている。その職務は、知を生み出したり活用したりするためのグランドデザインを描くとともに、知の専門家を統括し、外部からの知の調達にも責任を負うことである。ただ、現実には、知識資産の共有化に限定されるケースが大多数を占めており、本来の役割を果たしているとは言い難い状況である。
 企業のナレッジマネジメントの中でCKOと並んで重要な活動を行うのが「ナレッジマネージャー」である。 彼らの活動は、「知識」を共有するためのネットワーク作り、「知識」の貯蔵庫に蓄積すべき「知のオブジェクト」の作成と編集、知識のアプリケーションの技術的な構築及び管理、知的活動を重視した評価・報酬制度の人事制度への組み込み、業務プロセスの再設計等への企業構成員の日常業務の反映といった活動を実践的に行うことである。
 現在、企業ではこれらの知識管理の専門職を導入することにより、企業間競争での生き残りを模索している段階である。

2.ナレッジマネジメントとは

 ここで、「ナレッジマネジメント」の概念を再確認しておきたい。端的に言えば、前述のCKOが行う業務そのもであるが、「知識を創造し、活用するプロセスから生み出される価値を最大限に発揮させるためのプロセスのデザイン、資産・環境の整備」ということになろう。
 ここで、知識(ナレッジ)と情報(データ)の違いを整理すると、情報(データ)はいわば、素材である。統計や定量的な数字情報が代表的なものである。これに対して「知識」は、作成された情報(データ)を分析し、結果を踏まえて洞察を加えたものであり、情報(データ)を活用したり共有することによって生み出されるものである。
 したがって、企業においてナレッジマネジメントを実施するには、企画、生産、販売、経理、調達、人事といった事業活動全体のプロセスの統括に責任を有する者が実施する必要があり、これらの企業運営プロセス全体がナレッジマネジメントであると言える。

3.企業のナレッジマネジメント戦略

 企業の競争力(創造性)が知識の多寡に依存することは言うまでもないが、知識は、時間とともに陳腐化してしまう。したがって、もっとも重要なことは、如何に「知識」を創造していくかということである。この知識創造のプロセスを効果的にデザインすることに成功すれば、当該企業は自らの創造性を高め、イノベーションに結びつく等により、結果として企業の競争力が高まることとなる。
 そこで、具体的に企業の「知識」の管理戦略を分類してみると、形式知(注1)を知の貯蔵庫に蓄積することによって組織共有する管理手法を中心にするタイプと知識は基本的に個人に蓄積させ、人対人の直接的な対話によって知を移転させることを基本とし、知識の所在情報を中心に管理するタイプの2種類に大別できる。
 前者は、コンピューターによる資料管理システムを重視し、あらゆる知識をコード化し、知識を再利用することによって事業の効率化を達成できる事業形態を有する業種に向いている。例えば、流通業や知識集約型サービス業(例:コンピュータ操作にまつわるトラブル対応を行うオペレーションセンター)等が挙げられるだろう。このタイプの知識管理においては、IT投資(注2)が多額なものとならざるを得ない一方で投資効果の把握もかなり定量的に可能となる。
 後者は、特殊な課題に対してカスタマイズされた解決策を提供するような業態に向いている。例えば、コンサルティング会社などがこれに該当する。ここで、重要なのは、人材、知識の所在情報、そして、知識の移転が生じる「場」の提供である。これらは、個々人が有する暗黙知(注3)を形式知に転換し、組織的活用を図ることを通して、さらに高度な暗黙知が形成されるという知識創造を行いうるために重要な要素である。
 以上のように、企業が採用すべき戦略は、自社の競争力をどのような分野でつけていくかを目指すかという目標によって異なるものとなると考えられる。

4.ナレッジマネジメント技術の政策形成過程への導入

 近年、政策決定過程における情報の収集と分析の迅速化は、情報化の進展等と相まってますます重要な課題となってきている。情報量が増加する中で、政策決定に必要な情報を専門家の知見を活用して取捨選択して集めるとともに、その分析を迅速に行うことが求められている。このように政策当局が置かれている立場も「知識」を管理するという視点から見ると基本的に企業と異なるものではない。

 一方で、ナレッジマネジメントを政策形成過程に導入することは、企業の場合とは、本質的に異なる点もある。そこで、知識管理技術の政策形成過程への適用についての課題と方向性について考察してみたい。
 第一に、企業のナレージマネジメントは、単一の組織体において、知識創造を有効に行うプロセスであることは既に述べたところであるが、政策形成においては、制度の現状認識、利害関係者の意見の把握、調整のため、産業界、消費者、学識経験者・官庁・政界・NPO・市民等多様な参加者が参画する必要がある。したがって、知的活動を重視した評価・報酬制度を人事制度に組み込んだり、就業規則や内規により業務プロセスを再設計をしたり、各人の日常業務をそこに反映させるといった企業が採用している手法をそのまま持ち込むことは困難な側面がある。政策形成におけるナレッジマネジメントは、単一の組織体でない参加者及び知識をマネージすることになるために生じる問題を抱えている。
 次に、参加者のメンバーシップのあり方等によっても、集積される「知識」に差が生じ得ることに留意する必要がある。表1のように、広く知見を集めようとして、メンバーシップをオープンにした場合、発言に自己規制が生じ蓄積される知識の質が相対的に低下する可能性がある。一方、メンバーを限定した場合、発言者は参加者全体を把握できるので、機微に触れる発言もしやすいという利点はある。これらを踏まえて、有効な知識の管理技術を確立する必要がある。

メンバーシップ クローズド方式 紹介(限定公開)方式 オープン方式
集積される知識の質 現実の経済社会活動の機微に触れる知識の蓄積も可能 両者の中間 発言に自己規制が生じ、蓄積される知識が浅く、建前的なものになる可能性有り
参加者数 少数となりやすい 多数の参加が期待できる
議論の活性化 情報流通量が限定的なものになる 情報流通量が過多かつ玉石混交になる可能性有り

(表1)参加者のメンバーシップと知識の質の関係

 第三に、共通の企業文化を持つ企業と異なり、多様な参加者が共通の土俵で議論できるように、専門性を持つ参加者が有する知識を如何に形式知化して、他の参加者がシェアできるようにするのかという実際的な点も考慮する必要がある。これは、情報の共有に有力なネットワークであるインターネットを活用しながら、必要な知識の所在情報をURL等で編集するといういった業務を専門的行うスタッフも必要となる可能性が高いと考えられる。
 さらに、政策当局の保有する情報の提供の仕方にも工夫が必要である。情報公開法に基づく情報公開では、開示請求があってから、その可否の判断を行い、その後はじめて、情報提供することとなる。一方、有意義な議論を様々な分野の専門家や実務者の参加を得て行うには、政策当局が保有する情報を適切なタイミングで適切なものを、能動的に提供する仕組みを作ることが肝要であろう。その情報を提供する業務は基本的に守秘義務のかかる情報も扱うこととなるため、これらの業務を専門に行うスタッフを政策当局自ら確保することも必要であると考えられる。

 最後に、政策形成過程におけるナレッジマネジメントの戦略は、コード化戦略(注4)個人化戦略(注5)のどちらが望ましいか検討してみたい。
 もともと、政策形成過程においては、過去の文献や統計資料、データベースといった有形情報と、審議会委員(学識経験者、業界代表、消費者代表等を含む。)、各種研究会・勉強会等の参加者といった人々が持つ知見・見識といった無形情報の集約と分析が、有機的に結合され、新たな知識の創造である新政策に結びつけられており、ナレッジマネジメントを適切に導入することによって創造性が大幅に向上することが期待される分野であることは間違いない。
 近年は、有形情報が情報化社会の進展に伴い、その量、質ともに増大・多様化してきており、その分析に多大な時間を要するようになってきている。一方、経済社会構造の急激な変化が進展している。このような背景もあり、幅広い知見と専門性の両方を充足する専門的な人が持つ情報(暗黙知)が、研究会や勉強会、審議会といった政策形成の場を通じてますますその重要性を増大してきていることを勘案すると多額のIT投資を行いコード化戦略を採用するより、知識の所在情報管理を中心とした個人化戦略を中心に組み立てることが望ましいと考えられる。

 以上、政策形成過程におけるナレッジマネジメントについて、概略を考察してきたが、いくつか解決すべき課題はあるものの、IT技術とネットワークを活用したナレッジマネジメントを政策形成過程に導入する環境は整ってきているといって間違いないと考えられる。

(注1)形式知とは?
製品仕様、科学的な公式、コンピュータープログラム等容易にコード化できる知識である。
(注2)ナレッジマネジメントに有効なIT関連の基本ツール
  • データベースの編集、その取捨選択のための自動化ツール
    (特に構造化された知のデータベースを構築すれば、対応スピードが向上し、知に関わる取引コストは低下し、ベテランスタッフに対して重複して行われている問い合わせを減少させることにより彼が持つ能力の有効活用が可能となる。)
  • 専門知識を収集管理するためのツール
  • 検索エンジン
  • 文書作成・管理ツール
(注3)暗黙知とは?
人間の脳には埋め込まれているものの、言語化・表現することが困難で、個人的経験から習得する類の知である。例えば、顔は浮かぶのだけど、名前は出てこない。といった類の知識がこれに該当する。
(注4)コード化戦略
各人の保有する知識を組織が管理する「知の貯蔵庫」に登録し、組織的な活用を行うことを中心的なマネジメント手法とする戦略。多額のIT投資と知識を提供する個人への大きなインセンティブが必要。
(注5)個人化戦略
個人の有する深い専門性を結びつけることを管理することによって、高度な戦略的課題に創造性ある分析を背景に組織的に対処する「知識」の管理手法。IT投資は、少額で済む、一方、人材の確保及び「知識」の所在情報の管理が重要となる。

参考文献

  • 野中郁次郎、竹内弘高 『知識創造企業』 東洋経済新報社 1997年
  • Arthur Andersen『Knowledge Managemanet』 東洋経済新報社 1999年
  • 上山信一 『「行政評価」の時代』NTT出版 1999年
  • Thomas Tierney, Nitin Nohria, Morten T. Hansen. "What your strategy for Managing Knowledge?" 1999.
  • 佐々木良一 『インターネットセキュリティ入門』 岩波新書 1999年
  • 戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉野尾孝夫、村井友秀、野中郁次郎 『失敗の本質』 中公文庫 1991年
  • Thomas H. Davenport. "Working Knowledge: How Organizations Manage What They Know" (Harvard Business School Press, 1998)
  • Jeffrey Pfeffer, Robert I. Sutton. "The Knowing-Doing Gap: How Smart Companies Tum Knowledge into Action" (Harvard Business School Press, 1999)

(d) 2000. Policy Platform Consortium.