インフォメーション

2018年3月26日
呑川の会呑川レポート2018-5
「ウグイスと呑川の環境変化」
副題:梅にウグイス?梅にメジロ?をアップしました。
ご高覧頂ければ幸いです。
web編集・管理人 呑川の会 工藤 英明

高橋光夫のご挨拶

呑川の会第3ホームページ−写真・エッセー(PhotoEssay)投稿者

「呑川の会・第3ホームページ」が開設される運びになり、私がメールで発行を続けている 「呑川レポート」も、ここに載せていただけることになりました。
大変、光栄に思っています。
「呑川」は「コンクリート3面張り直立護岸」という、典型的な都市中小河川です。
都会に、とりわけ大田区には山は無く、自然と言えば「公園」か「川」になります。
その「川」を見続けている内に、思わぬ生きものの存在に気づきました。
そして、その生きものたちの生態を目の当たりにして、これをみんなに知らせたいと思うようになりました。
生きものの様子は「図鑑」でも知る事が出来ます。
でも「知識」だけで無く、実際にその姿を「呑川」で見ることは大きな感動であり、 「言葉」では言い表せないものがあります。
その感動をどう表現するか・・・。
私は、それを「写真」でお伝えすることにしました。
「呑川にカワセミがいた」と言葉で言うので無く、実際に呑川にいるカワセミの写真を、 「カワセミは呑川の魚を捕獲しています」と他人行儀で説明するのでは無く、 カワセミが魚をくわえている写真を・・・。
そういう訳でフォトエッセイの形をとって、メールマガジンを発行してきました。
このたび、このホームページでも紹介していただけることになりました。
もとより「呑川の会」会員やサポートしていただいている身内の方を対象にしたメールマガジンですので、 身内的表現も多々あると思います。
それはそれで、どうぞご了承ください。
また、少しでも「呑川」に関心を抱いていただき、「呑川の会」にもご加入いただければうれしく思います。
(ご加入の申し込みは、下記のメールアドレスでご連絡ください。)

高橋 光夫 {mitsuo.takahashiアットマークnifty.com}


 高橋光夫のプロフィール

(生年月日) 1943年(昭和18年)6月26日 東京都生れ。

大学卒業後、某電子工業機械メーカーにエンジニア(技術者)として入社。
専門は、電子電気工学、など。
1997年5月に、榊原氏、大坪氏と一緒に、呑川の会設立発起人の一人として、
参画し、 以来、今日まで、長年、呑川の会世話人(会計担当)として、会を支え続けてきた。
一昨年、以来、「呑川リポート」という件名で、呑川の会会員宛てに、また、
100名以上の呑川の会サポーター宛てに、いわゆる、「フォトエッセー」メールを出し続けた。
現在は、その連載が、31回に及んでいる。

サイト管理者工藤英明記

以下は、高橋氏自身のお言葉です。

(呑川の会との出会い)

電機関連の中小企業に勤め、主に商品の設計・開発分野を歩いてきましたが、
仕事に追いまくられるさなか、ふっと目にとまったのは、1997年3月「大田区報」の
「呑川から都市河川を考える」連続講座の案内。
自分の視野の外にあった世界に心を惹かれ、講座修了後には他の参加者も同じでしたが、
「もっと呑川のことを知りたい、深めたい、郷土のことも判りたい」という気持ちが 高まったのです。
そんなとき、この講座の世話人だった榊原さん、大坪さんらから「呑川の会」 設立の呼びかけがあったのです。
それは今まで、図面ばかりを見つめ、実験室に閉じこもっていた世界からの 大きな飛躍となり、仕事にも活気を与えるものとなりました。

(生きものへの関心と写真撮影)

電気は物理学の世界ですが、本を読んで理解し、ていねいに計算さえすれば
問題解決が出来、実際に新商品開発がうまくいくという訳にはいきません。
まずは対象物をよく研究し観察する、そして小さな変化も見逃さない、
その中から本質的なものを見いだすことが求められ、それが私の「呑川」を
見つめる視点とも重なりました。

こうして「呑川」を観察している内に、生きものたちの息づかいを感じ始めたのです。
そして生きものたちの姿をていねいに観察すると、図鑑に書かれていることとは
この「呑川」ではかなり違うことにも気がつきました。
そして図鑑や本に描かれていないならば、それを写真撮影で、ていねいに記録しようと
思い立ちました。
本に書かれていることとは少し違う・・・それを他人にどう理解してもらうか、
また「呑川」の魅力をどう判ってもらうか・・・それには写真が一番と思ったからです。

(天体観測について)

私の原点は中学時代にあります。
中学2年生の時、「金環日食」が日本で見られる情報が流れました。
ところが残念なことに、東京では「八丈島」まで行かなければ見られません。
そこでクラスメート数人で担任の先生にお願いをしました。
「先生っ、金環日食というものすごいことが起きる。授業なんかしている場合じゃ
ない。八丈島まで見に行きたいっ!」
私たちのせっぱ詰まった剣幕に、先生はゆっくり答えます。
「そうか、それなら校長先生に相談してごらん」
喜び勇んで校長室へ行って、あれやこれや一生懸命訴えます。
そしたらなんと、その場で「よし、行けるように考えてみよう」と返事。

あれから学校内部では大変だったでしょう・・・。
特定の生徒数人だけを「八丈島」に連れて行く問題、
その間、引率の先生はどうするのか、その穴埋めをどうするのか、
いったい費用はどのくらい掛かり、どうやって工面するのか、
保護者を含め、他の人たちの同意は得られるのか、
そもそも、こんな勝手なことを教育委員会が許すのか・・・。
私たちは子どもでしたから、あれやこれやの問題は何にも知らずに、
ただただうれしくって、学校の天体望遠鏡を意気揚々と担いで、
当時は片道だけで2日間もかかる船に乗って八丈島に出かけました。

ここには、大切な教育の原点がしっかりとあったように思えます。

それで私は、宇宙や星などに特段の興味を持つようになったのです。

インフォメーション

2012年1月10日
呑川の会第3HPをアップしました。